田村 太郎 氏 一般財団法人 ダイバーシティ研究所代表
「多文化共生は“受け入れるだけ”ではない
地域から考える外国人とともに生きる社会」
聞き手: 西村多寿子
― ご自身の歩みと、ダイバーシティ研究所の活動についてお聞かせください。
田村:私は阪神・淡路大震災をきっかけに、被災した外国人支援に携わるようになりました。当時は多言語での情報提供がほとんどなく、困っている人たちと接する中で「多文化共生」という言葉の意味を実感しました。その経験をもとに、1995年に「多文化共生センター」を立ち上げ、地域レベルでの共生支援を始めました。
2007年には、より広く企業や自治体と連携するために「ダイバーシティ研究所」を設立し、災害時支援、多文化共生のまちづくり、ダイバーシティ経営の促進など、幅広く活動しています。
― 地方での外国人受け入れについて、首都圏などの大都市との違いはどんなところにありますか?
田村:たとえば世田谷区と富山県、どちらも外国人が約2万人台ですが、地域の受けとめ方はかなり違います。同じ2万人でも地方では「急激に増えた」と感じられ、影響が大きい。これまで顔が見える関係で支援ができていた地方都市でも、近年は増加の勢いが急で、そろそろ人数的に限界にきている。それが新たな課題になっているように思います。
国が一律の施策を実施する際には、こうした地域ごとの事情を汲む必要があります。たとえば、住民一人ひとりに新たな支援金を給付するような施策の場合、人口50万人以上の政令指定都市などでは、システム構築や担当者への周知に多大なコストや労力をかけて準備します。さらに、外国人住民への対応を適切に行うために、自治体内の外国人割合に応じた多言語による案内文書の作成も求められます。規模が小さな自治体で同じことができるかというと、実際はなかなか難しい。しかし国からの指示であれば、人口規模にかかわらず同様の対応を求められることになります。
大都市が小規模な自治体より良い面ばかりということでもありません。統一的なシステムが現場の実情に合わず、柔軟性に欠けることもあります。小さな自治体だからこそ、担当者の努力と工夫次第で、外国人住民の細かなニーズに対応することも可能です。外国人住民の母語に合わせて母子手帳を一つ一つ印字・製本して対応するなど、担当者の熱意やアイデアが支援に直結しやすいという面もあります。大都市でも地方でも、現場主導のきめ細かな支援は、今後ますます重要になってくると思います。
― 現場ではDX(デジタル変革)も必要だと感じます。多言語翻訳の精度向上やデジタルツールの活用なども課題です。
田村:まさにその通りです。紙媒体では限界がありますから、タブレットなどのデバイスを活用して多言語でのやりとりをスムーズにすることが、支援の質を高めるカギになります。地方こそ、実験的に進めやすいフィールドなので、こうした取り組みはどんどん試していくべきです。
私は北海道の苫小牧市でアドバイザーをしています。先日、同じ胆振地区にある新ひだか町の方から、ヒンディー語の問診票を用意したという話を伺いました。この地域は競走馬の産地として有名で、最近はインド人の調教師がたくさん来ています。「家族滞在」の在留資格で暮らす人も増えており、町で生まれる赤ちゃんの中でインド人の割合がかなり増えているそうです。
そこで担当の保健師さんは、ヒンディー語の母子手帳や問診票を用意したのです。そこまでは本当に丁寧で素晴らしいですよね。でも、紙で用意した問診票にヒンディー語で手書きで記入され、お手上げになってしまった。惜しいです。さらにもう一歩進めて、タブレットを使ってヒンディー語で直接入力してもらえれば、ボタンひとつで日本語に変換できるのに、と思います。そうすれば、もっとスムーズにやりとりができるのに、じつに惜しい。

このような地方の現場こそ、ピンポイントで課題と解決のアイデアが見つかる。DXを試すには最適な場所です。国も自治体もDXを旗振りしていますから、外国人支援をきっかけに、もっと思い切ってピンポイントで実験的にやってみてほしいと思います。
こうした取り組みが進めば、保健の現場だけでなく、子育てや学校などさまざまな場面で「言葉がわからない」という壁はグッと低くなると思います。今は学校の連絡帳も先生の手書きですから、日本語が読めない保護者には大変です。でも、こういった工夫で少しずつ解決していけるのではないでしょうか。
― 日本人と日本に住む外国人が地域で共に暮らしていくために大事なことは何でしょう?
田村:多文化共生というと「相手をそのまま受け入れる」と考えられがちですが、それはちがいます。相手の文化を受け入れるとともに、日本社会で大切にされている人権や教育の機会の保障など、伝えるべき価値をきちんと共有する努力も必要です。お互いに歩み寄りながら、地域全体で暮らしやすさを追求していくことこそが、多文化共生の本質です。
これまでの国際交流の現場は、高学歴の主婦や退職した元商社マン、世界に関心のある学生などがボランティアで担ってきました。いま、これらの人々はもう“絶滅危惧種”ではないでしょうか。主婦も、早期に退職する人も、世界に関心のある学生も減っている。昔と今とでは社会構造が変化していることを強調したいです。
そうした中、これからは国際協力機構(JICA)や国際交流基金など、海外に人を派遣するスキームを持つ機関と連携して、地域で活動する専門人材を計画的に育成・配置する仕組みづくりが不可欠だと考えています。海外協力隊や日本語パートナーズのような人材の知見も、地域でうまく活かしていきたいところです。

―最後に、今後の展望について一言お願いします。
田村:「技能実習制度」が廃止され、単身・短期の出稼ぎ外国人の時代は終焉します。これからは家族とともに自分らしく暮らせる地域を選んで人は移動します。誰もが役割を持てる地域づくりが必要で、そのための人材育成と制度設計が急務です。行政、企業、NPOなど多様なプレーヤーが連携し、「外国人とともに暮らす社会」のための政策提言と実践の場を、皆さんとともにつくっていきたいと思います。