文:小松 正

外国人と関わる現場では、「きちんと説明したのに、なぜ伝わらないのだろう」と感じる場面が少なくありません。制度を案内したのに申請につながらない。受診の必要性を説明したのに来院しない。通訳を介して話したのに、不安が残っている。こうしたとき、私たちはつい、相手の理解力や意欲、文化的な違いに原因を求めたくなります。
しかし、「伝えた」ことと「伝わった」ことは同じではありません。また、「伝わった」ことと「行動できた」ことも同じではありません。支援が届くためには、情報が相手のもとに届き、その意味が理解され、自分に関係のあることとして受け止められ、次の行動を選べるところまで進む必要があります。
言葉が分かっても、行動できるとは限らない
情報が「伝わった」状態から、実際の行動に至るまでには、人間の認知や行動の特性が大きく関係します。
人は、不安が強いとき、疲れているとき、多くの情報を一度に与えられたときには、内容を整理して判断することが難しくなります。これは「認知負荷」が高まっている状態です。医療や福祉の制度、申請書類、予約方法、費用、必要な持ち物などを一度に説明されると、言葉の意味が分かっても、何から始めればよいのか分からなくなることがあります。
外国人の場合には、言語の違いに加え、制度への不慣れ、在留資格や仕事への不安、家族関係、過去の経験などが重なります。本人の母語で説明すれば、すべて解決するとは限りません。言葉を理解できても、制度の仕組みや相談後の見通しが分からなければ、行動には移しにくいからです。
さらに、支援を受ける人にも支援者にも「認知バイアス」があります。認知バイアスとは、限られた情報の中で、物事を一定の方向に判断しやすくなる人間の認知の傾向です。
例えば、説明後に相手が行動しなかったとき、支援者は「本人に意欲がない」「この国の人は制度を理解しにくい」と考えるかもしれません。反対に、支援を受ける側は、過去の体験や周囲から聞いた話をもとに、「行政に相談すると不利益がある」「病院に行くと高額な費用がかかる」と判断しているかもしれません。
どちらかが不誠実なのではありません。人は誰でも、目の前にある限られた情報や過去の経験を手がかりに、状況を素早く理解しようとします。ただし、その判断が実際の状況と一致するとは限りません。
人間の特性と、複雑な制度のミスマッチ
人間行動進化学の視点から見ると、こうした傾向には、人間が長い時間をかけて適応してきた社会環境も関係しています。人間は、顔の見える比較的小さな集団の中で、相手の表情、評判、繰り返しの交流などを手がかりに、信頼できる相手かどうかを判断してきました。
ところが、現代の医療、福祉、行政の制度は、非常に複雑です。初めて会う支援者に個人的な事情を話し、短時間で多くの説明を聞き、書類を読み、将来に関わる判断を求められます。しかも、担当者が変わったり、複数の窓口を回ったりすることもあります。
これは、人間が信頼を形成し、情報を理解してきた環境と、現代の制度との間にある一種の「進化的ミスマッチ」と考えることができます。支援制度は、制度上の目的や手続きが整備されていても、人間の認知や感情の特性に合っているとは限りません。
支援を「届く形」に組み替える
支援が届かない理由を、利用者だけの問題として考えることはできません。「なぜこの人は行動しないのか」と問うだけでなく、「この状況では、何が理解や行動を難しくしているのか」と問い直す必要があります。
例えば、説明の最後に「分かりましたか」と尋ねても、多くの人は「分かりません」とは答えにくいものです。それよりも、「次に何をする予定ですか」「困ったときには、どこに連絡しますか」と確認した方が、情報がどのように伝わったかを確かめやすくなります。
また、情報を一度にすべて渡すのではなく、「今日すること」「後で考えること」「困ったときに相談すること」に分ければ、認知的な負担を減らせます。同じ人が継続して対応する、相談後の見通しを示す、組織内で情報を共有するといった工夫も、信頼の形成につながります。
人間の認知バイアスや進化的な傾向を知ることは、偏見や誤解を正当化することではありません。むしろ、人はどのような状況で誤解し、警戒し、行動できなくなるのかを理解し、問題が起こりにくい環境をつくるために役立ちます。
多文化ケアとは、特定の文化について多くの知識を持つことだけではありません。言葉、経験、制度との距離が異なる人にも、必要な支援が届くように、人と情報と組織の関係を整えることです。
この連載では、外国人への不安や偏見、自己責任という見方、行動につながる情報設計、組織内の情報共有などを、人間の認知と行動の側面から考えていきます。誰かの努力不足を指摘するのではなく、人と人、そして人と制度のあいだにある「届きにくさ」を見つめ直すこと。それが、多文化ケアを考える最初の一歩ではないでしょうか。

著者:1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主)として活動。多摩大学情報社会学研究所客員教授も務める。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。著書に『なぜヒトは心を病むようになったのか?』(文春新書)、『いじめは生存戦略だった!?―進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』(秀和システム)、共著に『情報社会のソーシャルデザイン―情報社会学概論Ⅱ』(NTT出版)、共訳にダグラス・J・フツイマ『進化生物学』(蒼樹書房)などがある。
